紅魔館を出た後に、博麗神社に寄ってみることにした。事件といえば巫女だし、巫女といえば、事件である。 それでも、正直なところまったく当てにしてなかった。 そして、実際そのとおりだったので、逆に笑ってしまうぐらいだった。 「まったく暢気ですね。そりゃあ確かに何もないですし、陽気もうららかで、昼寝日和です。だからと言って、流石に……」 流石にこれは無いだろうと思えた。縁側にほうきを立てかけ、飲みかけのお茶を放っておいて、博麗霊夢はいつもの腋出しルックで、すやすやと寝ていた。動きは、むにゅむにゅした口と、寝返り。 何も面白くない。想像通りで面白くない。 しかしまぁ 「せっかくなので、撮ってしまいましょうか」 こういう姿を見るのも貴重かもしれない。起きだしたらまた何か言われそうなので、早々とカメラにそれを収めると、早々に立ち去った。とりあえず、奥から引っ張ってきた布団をかけておいてので、風邪を引くことは無いだろう。 そして、当然行く当てがなくなる。その上行き先も思いつかない。 魔法の森にでも行って、霧雨宅でも訪問しようか通ったが、どうせまだ紅魔館辺りにいるだろう。いちいち引き返すのも億劫である。そもそも無理に霧雨魔理沙を取材する理由も無い。却下。 迷いの竹林。ウサギに、いたずらされるのはごめんだ。さらに、景色が変わらないから、人並みに迷う。その結果として永遠亭にもたどり着けない。却下 無縁塚、再思の道。しゃべり好きの死神が、仕事もサボって話し出すと、日が暮れる。ついでに、仕事しない死神を殴りに来た閻魔さまにも遭いたくない。却下 「さてどうしましょうかね」 一向に、プランが練りあがらない。今日はもうやめようかなど、ぶつぶつ呟きながら、ふらふらと飛んでいた。だから 「お〜い。ブン屋〜」 と、下で呼ばれていることには、全く気付かなかった。故に相手が、私に気付かせるために投げた石に、気づくわけもなく。その上、そのときの私は運も悪く、程なくして鈍い衝撃が走ったときには、もう遅かった。 朦朧とする意識。面白いぐらい、真っ逆さまに落ちる体。廻る視界。 その中で、その石を投げた張本人は、拙い事をしたという表情を貼り付けていたのを私は視界の隅に捕らえ、そして、徐々に視界は暗くなっていった。 「うがぁ〜すいません閻魔様。私はまだ本当のジャーナリズムがわかっていませんでした!!だから、卒塔婆ぁ卒塔婆だけは……はっ」 無縁塚で、閻魔様に追いかけられる夢を見た。「真実を変える以上、その責任もあなたが負わなければならない。ならばその責任負ってもらいましょう。そりゃそりゃそりゃ」 とまぁこんな感じの悪夢だった。「大分うなされていたから心配したが、その分だと大丈夫そうだな」 濡れタオルを持った上白沢慧音が、心配そうに私を見下ろしていた。そういえば私は考え事をしていて……痛たたた。痛みに顔をしかめると、慧音はすっ飛んできて、頭濡れタオルで押さえてくれた。少しずつ、痛みが麻痺していく。 「いや済まない。叫んでも、なかなか気付がついてくれないものだから、足元に落ちている石を投げたのだが、まさかあんなに綺麗に当たるとは考えていなかった。重ね重ね済まない。私の落ち度だ」 「いえ。気付かなかった私も悪かったです。こうやってあなたは介抱してくれています。それだけで十分です」 そんなことを言いながら、私の手は胸元をまさぐっていた。あるべきものがそこに無い。さっと血が引く音が確かに聞こえた。不安感が体を包んでいく。「あぁカメラか。ちょっと待っていろ。あぁ心配なのはわかるが、頭を打っているんだ。もう少しおとなしくしていてくれ」 すっと立って、部屋を出て行った。これが落ち着いていられるだろうか。そういえば「落ちついて」と「とかちつくちて」って、ちょっと語呂が似ているなって、けったいなことを考えてしまった。まだ頭が混乱しているかもしれない。「どうした難しい顔をして、また頭が痛むのか?」 「……いえ大丈夫です。それでカメラは?」 ああこれか、といって、彼女はカメラを差し出してくれた。私は相棒に飛びつくと、念入りに点検をする。外傷なし。フィルムは巻けるし、シャッターも押せる。蓋は開くし、レンズも割れてない。 「はぁ〜よかった……」 「墜落しても、それだけは大事に抱えていてな。布団に寝かせるのに、放させようとしたが、なかなか手放さなくて、骨が折れたぞ。よほど大事なものなのだな。樹の枝が緩衝して、守ってくれなかったら、もっと危なかっただろうに。運もよかった」 「はい。私の命の次に大切で、何よりも変えがたい相棒ですから」 ということは、私の被害の大半は、石があたった頭の怪我だけか。まぁそれでも、カメラが無事なだけで、十分だ。「そういえばここは?」 「あぁここは私の家、兼寺子屋だな」 立ち上がって戸を開け放つと、外で遊んでいる子供達が見えた。里の子供達だろうか。妖怪の私がいても、あまり関係ないようだ。おそらく、人間の守り神。上白沢慧音がいるという安心感だろう。「門下生、だいぶ増えていませんか? 二、三年前はこんなに多く無かったですよね」 「ああ。ここ最近少しずつ増えていってな。週に二,三回こうやって門戸を開いている。はじめは数人しかいなかったのだが、気付けば大所帯だ。 「すまない。私ばかり話していたな。そういえば、今日も記事になりそうな話を探していたのだろ? どうだ、いい写真が取れたか?」 「そうですね。記事になる写真ではないです。でもまぁ、いろいろ思うところがある写真は、いくつか撮れました。現像だけなら、少しあれば出来ますけど、見ますか?」 「そうだな。せっかくだし見せてもらおうか」 手早く、現像の準備をして、カメラからフィルムを取り出す。現像過程は、面倒くさいので省略。乾燥だけは一瞬で出来るのが強みだ。現像したフィルムを夕日に当てると、幽かにだが、撮った被写体を見て取れた。 「ははは。いい写真だ。本当に良い瞬間を捉えたのだな」 慧音もそれを覗き込むと、満足げに頷いた。撮った写真がよい評価を受けるのは、正直くすぐったい。「でもやっぱり記事にはなりませんね。日常的過ぎて面白くないです」 「ふむ。じゃあ逆に聞くが、写真は記事のためだけに存在するものなのか?」 「それは……違いますかね。記事のために必要なのは私だけですから」 「そうだな。写真は、撮ったものの意思や、撮った景色で意味が大きく変わってくる。いや別に、お前を責めているわけじゃないぞ。最近、私は思うことがあってだな」 彼女はまた済まなそうに、謝る。どこまでもお人よしな人だ。「思うことですか?」 「ああ。私たちにとって、人の一瞬は、閃光のようで、それ故に美しい。私には、人間のそのあり方に憧れるよ」 それは確かにそうだ。私たちは人間の何倍も生きる。場合によっては、何十倍ということもある。吸血鬼レミリア・スカーレットは、あの見た目で五百年以上は生きている。それが写真と、どう関係あるのか。話の転換が唐突だ。「最近あった花の異変。六十年に一度の博麗大結界の緩み。全ての知識をつかさどる私も、すぐに思い出すことが出来なかった。他の妖怪も同じだったんじゃないか?」 「そうですね。私もすっかり忘れていました」 そういえば、なぜ忘れていたのだろうか。しかも、忘れていたことをさらに忘れている。それにしても、またいきなり話が飛んでいる。 「そして、愕然としたよ。私は昔のことを思い出せなくなっていた。正確には違うな。記憶として思い出せないということだ。記録として、その歴史として私は六十年以上前のことも覚えている。ただ記憶としては、ほぼ欠落してしまった」 苦虫を噛み潰したような表情で、慧音は語る。確かに私たちは、長く生きているうちに、現在だけを、受容しているのではないだろうか。 過去は、常に美化か劣化を繰り返すものだ。無限にも等しい経験の中に、多くの轍を踏もうが、逆にその寿命の長さゆえ、刺激対して次第に緩慢になる。そして、先が長すぎる故、私たちは省みることを必要としなくなった。常に不変の存在になってしまったのかもしれない。 「悔しいんだよ。かつて、私にも少ないが、教え子がいた。私は人の子らに多くの知を授けた。そして、子達は私の心にともる、暖かな火をくれた。 「私は怖いよ。この子達を忘れていくことが。そして、忘れたことすら忘れてしまう自分自身が」 彼女は俯く。彼女の眼には少し涙が浮かんでいて、まるでそれを隠すように。一息ついて、慧音は顔を上げた。 「話は戻るのだが、写真というものは、そのとき、その一瞬を捕らえることができるものだ。うまくすればそれは、半永久的に手元残る」 そこまで聞いて、私は慧音が言いたいことの意味をとることができた。「人の一生というのは私たちからすれば、瞬きにも満たない長さかもしれない。そんな一瞬をそのカメラは捕らえている。それは、私たちにとって失われた記憶を埋めるパーツになると思わないか?」 「人には、かつての記憶をさかのぼるために必要なもの。妖怪とっては、欠落を埋めるために必要なもの……ですか 「私も、今ならあなたの気持ちが理解できます」 気付けば簡単なものだ。私も、今このときを忘れたくなかったのだ。長く生きてきて、私の体にも、慧音と同じ想いが、積もり積もっていたのかもしれない。ただ忘れていただけで。そして今、人間の少女達が生きていた証を撮りたいという衝動が。わきあがる心が、私を突き動かしたのではと。 「私たちにとって、人間は水や酸素みたいなもの、なのかもな」 「言いえて妙ですね。生きていくためには、ある程度必要不可欠なものですけど、ひとたび摂取しすぎると毒になります」 「まったくだ。いつの間にか入り込んで、気付けば毒されているのだからな。迷惑な話だ」 「そうですね」 互いに笑いあう声が、夕焼けに吸い込まれていく。「あっ!! 慧音先生じゃん」 「天狗のお姉ちゃんの看病はもういいの? じゃあ一緒に遊ぼうよ」 走りよってきた子供達は、慧音の手を、服をぐいぐいと引っ張って、引きずっていった。「こら、お前達。もう日が暮れたぞ。早く帰りなさい」 「お願いもう少しだけ!!」 しばらく、問答していたが、慧音の抵抗むなしく、子供達に紛れていった。やはり鬼の慧音先生も、子供達のお願いには、敵わないようだ。子供達は彼女を囲むと、くるくると廻りだす。楽しいことを待つことが出来ないというのも、子供らしさということか。 私にも同じ時があったのかもしれないが、もう忘れてしまった。でも、こんな感じだったのだろう。忘れてしまった記憶に、思いをはせる。 「なぁブン屋。あんたのカメラで、今この瞬間を収めてはくれないか?」 「勿論です。そんなのお安い御用ですよ」 慧音と子供達はくるくる廻る。私も夢中になり、シャッターを切り続けた。いつまでもいつまでも廻る。歌に踊りに。慧音の想いに、私の想い。絡まりあう全ての想いをフィルムにぶつけて。今この瞬間を永遠のものに。 そんな行為は、日が完全に没するまで続いた。いまの慧音に先ほどの憂いは無い。私も未来に何も恐れは感じない。 私たちは、今日のこのやりとりですら、忘れるだろう。それでも、生きとし生きるものの記憶はこのカメラにある。だから、いつでも思い出せる。 記録は感情というピースが抜けた、未完成のパズルのようなものだ。その時の感情が、そこに埋まることで、パズルが完成して記憶が生まれる。 詭弁かもしれないが、写真は必ずしも記録ではない。 記録になる写真は、客観的で、絶対的な平等の元に取られた写真。記事になりえる写真。 この溢れ出す衝動を、忘れたくない想いを、閃光のような一瞬を収めた写真は、永遠に朽ちることのない、私たちの記憶だ。 だから、これは……
記事にならない写真 END
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