恐る恐る雲の下を突き抜けると、曇天だが雨はあがっていた。生乾きの服は、少々癖のある水っぽい臭いがするが、さして気にするほどでもないだろう。どうせすぐに乾く。 結局、曲芸の瞬間を捕らえた以外には、何も収穫が無く。実際には、雨宿りと暇つぶし以上の効果を残すことはなかった。 しかし、一日はまだ長い。今は見えないが、陽はまだ天辺を越えて少し傾いている程度。 午前中に発見することが出来なかった珍事も、午後には最大級の甘味として、雨の代わりに、私に降って来るかもしれない。 巫女だってうたた寝をするし、蓬莱人たちは決闘をはじめる。紅魔館の人々はティータイムとしゃれ込むだろう。それぐらいの変化はある。だからきっと、私の求めている特ダネも見つからなければおかしいのだ。 そんな勢いで、幻想郷中を東奔西走駆けずり回ったが、蓋を開ければやっぱり何も無かった。 やはり巫女は寝ているし、人形遣いは引きこもっていたし、普通の魔法使いはどこかに消えた。蓬莱人たちは死んでいた。そして生き返った。それだけ。面白いこと皆無。 ただし、喜ばしいことに、服は乾いた。 「はぁぁぁぁぁぁ……」 この一発で幻想郷中不景気になりそうな盛大な溜息をはくと、目の前に広がっている湖へと滑空していった。ちょっと青い妖精あたりを吹き飛ばした気もするが、いちいち気にしないことにしよう。「あ〜新聞の神様。私にはネタを見つける才能は無いのでしょうか? 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」 今度は世界中が恐慌に落ちいりそうなほど、深淵よりも深い溜息を吐くと、ふと目の前には紅魔館があることに気付いた。どうやら考え事をしたり、神への問答を繰り返したりしている間に、風に流されていたらしい。しかし、紅魔館にはとくに行く理由が無い。無能な門番と動かない大図書館に瀟洒なメイド、性質の悪い吸血鬼の姉妹。その他多数。 今のところ、妹フランドール・スカーレット以外は大体の取材は終わっていた。しかし、悪魔の妹の所に中々取材に行くことに踏ん切りがつかない。何故なら、余り良い噂を聞かないからだ。 魔法一つで草原を焦土に変えたり、発狂すると紅魔館が吹き飛んだり、本来ならありえない死と隣り合わせの弾幕ごっこを要求されたり等。そんな話をあげたらキリがない位あがってくる。 触らぬ神にならぬ、悪魔に祟りなし。今まで危ない目には多々遭ったが、あからさまに我が身の危うさを感じるところには行きたくは無い。 本当に事件になったときだけ、伺うことにしよう。 そんな思いで紅魔館を見つめていると、どういうわけか、いきなり爆発した。 それはもうとても盛大に、そして派手に。 そして、一人で手放し大車輪をしながら、私のところに飛んでくる門番、紅美鈴。こげる衣装が飛行機雲のように煙を吐き出し、彼女の軌跡を作っていく。 「とぉ〜めぇ〜てぇ〜」 何も見てないし聞いてないことにした。それよりも、さっきの爆発、それはもう恋の魔法をぶっ放したような爆発だった。これはもう確実だ。「紅魔館に真昼の泥棒。懲りずにまたもや門から正面突破。その潔さに感服。被害総額不明!!」 「決まりです。どうやら紙の神は、私にネタを降らしてくれました。くだらないギャグは置いといて、私はこの僥倖に感謝しなくてはなりません。さぁ戦の始まりですよ。どぅりゃあ〜」 扇を一閃。助けを求める門番を無常に幻想郷の果てまで吹き飛ばす。「なぁんでぇ〜!?」 彼女がかき鳴らす、悲鳴の戦太鼓を響かせて、黒い泥棒に便乗して正面から門を突破。慌てふためいている妖精メイドを尻目に、まんまと紅魔館への侵入に成功した。「さてと、世紀の大泥棒、霧雨魔理沙の行く先は大体一つ、それは膨大な知識が蓄積されている大図書館。まずはそこに向かいましょうかね」 無意味にただっぴろい屋敷の廊下を歩いて、図書館を目指す。おそらくいつもは、メイドが必ずどこかにいるのだと思うが、少なくとも今は静かだ。原因は、霧雨魔理沙の門破壊突破で、メイドたちがそっちに、掛かりっきりだからだろう。 ひんやりとした空間と廊下中に響き渡る足音に、ほんの少しだけ優越感と、気持ち良いぐらいの開放感を覚える。少なくとも今は私だけの空間。自然に歌いだしてしまいそうだ。 「歌わなくて良いです。不法侵入者その二。紅魔館で一番恐ろしいのは、ゴキブリ以上に早く動き回るあなたたちなのね。 「時を止めて、いきなり現れないでください。心臓に悪いです。あと幻想郷の従者は、不平不満を溜め込む体質なのですか?」 「脈絡がないですね。何の話ですか?」 「いえ、こっちの話です。忘れてください」 「そう。別に良いですけど」 本当にどうでもよさそうに十六夜咲夜は呟いた。ナイフはいまだに首筋に押し当てられている。私の両手は万歳のままだ。どうにも、私の関わる人間は、妖怪以上に人間離れしている。彼女は数人いる人間の知り合いの中でも、一番浮いていた。 「それより、このまま出て行くなら、何も危害は加えませんが、どうなさいます?」 あっ食い込んだ。有無も言わせないつもりなのですね。冷や汗が、間欠泉のように体中から噴出してくる。 「あ〜出来れば、取材ぐらいはさせて欲しいのですが……」 「取材? 月に行く話はもう流れましたし、あなたの言う永夜異変については、話すことはありません」 少し手が緩んだ気はするが、依然危険な状態である。下手をすれば、明日の新聞の訃報欄に、私の名前が載ってしまう。「いえ、その話には俄然興味がありますが……あ〜違います。今日はそっちじゃありません。だから、これ以上ナイフは要りません!! 「それで、その飛んできた門番はどこへ行ったの?」 「それは、私のところに飛んできたのが、邪魔だったんで、どっか飛ばしちゃいました」 ナイフがスッと引かれ、体は自由を取り戻す。やっと生きた心地が巡ってくる。彼女の手からは、いつの間にか、ナイフ自体が消えていた。 「ふふっ……。そうなのですか。まったく困ったものね。使えない門番も」 彼女は指を口に添えて、困ったように笑った。その微苦笑は、普段のお堅い彼女からは想像できないほど、柔らかな笑いだった。喩えるなら、一枚の貴婦人の絵のような、至高の芸術。どこまでも完璧なメイド長。瀟洒というのはこういう女性にこそ相応しい。 「それで取材の件はどうしましょうかね?」 「まだあきらめてないのですか。ナイフ、まだ余っていますよ?」 瞬時に両手には、8本のナイフが握られていた。瞬間、私の体は、先程のトラウマで汗が噴出す。「いや……その……それじゃあ……」 「わかりました。取材お受けしましょう」 「そうですか。それじゃあ今すぐ退散しますって……えっ!? 良いんですか?」 彼女は肩をすくめ、やれやれと溜息をつく。「良いもなにも、い・ち・お・う取材に来た記者に、『接待のひとつもされずに、ナイフを振り回されて、追い出された』なんて書かれた日には、紅魔館メイドの名折れです」 「ははは。すいません、なんか無理やり押しかけて、勝手に取材申し込んだだけだったのに」 「まったくです。私の身にもなってほしいですね」 言葉自体は尖っていたが、口調はどこか楽しそうだった。「それじゃあお茶でもお持ちいたします。新聞を賑わせるほど、話題になるようなものは御座いませんが、一時の暇つぶしのお手伝いをいたしましょう。こちらへどうぞ」 別段断る理由は無い。まったく無い。ナイフさえ投げられなければ。それに、今の彼女には、先程のような冷たい印象はもう無かった。獲って喰われることはないだろう。 私は、優雅に歩き出す彼女の後を付いていく。 「こちらで少々お待ちくださいな。すぐにお茶をお持ちします」 通されたところは、応接間ではなく、彼女の私室と言ったところだろうか。勝手に忍び込んで輩を、客間に通さないところは、筋が通っている。が、彼女が客間に通さず私室に通したことには、また別な意味を感じた。 その意味を問いただそうと思ったが、現れたときと同じように、咲夜は唐突にいなくなっていた。 とりあえず、部屋の真ん中にあった椅子に腰を下ろし、一通り見回してみた。なるほど、無駄なものは一切無く、調和の取れた部屋だ。ベッドのシーツには皺一つ見受けられない。 一見家具とかは、初めから備え付けだったような印象を受けるが、さりげなく彼女のレイアウトが入り、小ざっぱりはしているが、決して何も無い部屋という印象は受けない。 自分の部屋よりも、どこよりも気分が落ち着く。赤い屋敷に白い部屋というのもまた趣があっていい。 「褒めたって何も出ませんよ?」 そして、彼女は出て行ったときのように、また唐突に現れた。手には、湯気の出たお茶と二人分のカップ。そしてお茶菓子。時を止めて出てくるのか、ただ気配が無いのか。どちらにせよ隙が無い。「おかしいですね。何も言ってないですけど」 「あら、顔に出ていますよ? それよりも、どうぞ。今日はおいしいお茶が入りましたので、話も弾むでしょう」 「それは違います。『今日は』じゃなくて『今日も』ですよね。あなたが選んでいるんです。おいしくないお茶なんて、仕入れるはずが無い。これ、紛れも無い事実です」 人差し指をピンと立てて、私は抗弁する。彼女は、きょとんとして私を見た。そして、ぷっと吹き出す。 「ありがとうございます。光栄です」 少しわかったことがある。所詮第一印象は、当てにならないということだ。様々な角度から見ることで、ヒトは様々な面を見せる。彼女は一見冷徹な印象を受ける人物だが、それは職務の上での一つの仮面に過ぎないということだ。いまの彼女が、真実の顔という保証は無いが、少なくとも今の私は、今の十六夜咲夜には好感が持てる。 楽しい茶会になりそうだ。 「そういえば、霧雨魔理沙の件はどうなっているんですか?」 おいしいお茶と洋菓子を頂いて、すっかり忘れていた。「そんなに、大したことではありません。いつものことです。 「うちの妖精メイドたちは、単純作業に限っては、優秀ですから。それに、これぐらいの仕事を任せでもしないと、こうやってお持て成しも出来ません」 「それでも、あなたが休む暇が無いのはいいのですか?」 噂だと彼女は、昼も夜も関係なく働いているとのことだが。「大丈夫です。時間を弄っていますし、このような世間話もよい休憩です。それにお茶を一人で飲んでもおいしくないでしょ?」 確かに、私の感じる時間と、今流れている時間は違う。「ふふふ。ものは言いようですね。それじゃあ私をだしにして、休んでいるように聞こえます」 「そうでもしないと、私も一応人間ですから、倒れてしまいます。それを、お嬢様のお世話や、その他の仕事を休む理由にはしたくないですから」 つまりこれが彼女のプライベートスクエアということか。そんなことを考えながらお茶をすすっていると、ドアから控えめなノックがする。 瞬間、空間が音を立てて割れるような、そんな錯覚に襲われる。そして、時間は思い出したかのように緩やかに、且つ正常に流れ出した。 咲夜はもうメイドの応対に出ている。 「なにかしら? 今はお客様の接待中なのですけど」 「すいません。補強用のレンガや木材が切れましたので、どうすればよいかと……」 随分と萎縮している。他のメイドにとっては、メイド長とは、ここの主人に次いで、絶対的な存在らしい。彼女は、さして怒っているわけではなく、いつも通りの仕事モードといえる。それにしても、さっきの「単純作業に限って優秀」とはそういうことか。単純作業なら、人海戦術で効率は上がる。逆に複雑な作業になるほど、個人でやったほうが効率はいい。 つまり普通のメイドたちは、イレギュラーな出来事が起こると、対応が追いつかない。そういうことなのだろう。 メイド長である彼女は、複雑な作業をほぼ一手に担っている。驚くことに、それを彼女は何も苦に思っていないようだ。むしろ喜ばしく、誇らしいことだと感じているように見受けられる。それは表情にも出ていた。 初めに微笑していたときも、お茶を飲んでいるときでも、彼女の一挙一動に品があった。しかし、それよりも働いている彼女は、何よりも輝いていた。 メイド長がメイド長たる所以がここにあった。 私はカメラを取り出し、ファインダー越しに、てきぱきとメイドに指示を送っている彼女を覗き見ると、シャッターを数回切る。 彼女は果たしてそれに気付いていただろうか。おそらく気付いているだろう。 「すみませんが、これから忙しくなりそうです。申し訳ないですが……」 「いえ。ありがとうございます。おかげで楽しい時間を過ごすことが出来ました」 これは、言うまでもなく、私の本心だ。目的は達成されてないけど。咲夜は私の顔を見る。彼女の顔の申し訳なさそうな表情に笑顔が混じった。 「それでは、またネタに困ったら、お茶をしにくることにします」 「昼間で、仕事が少なければお相手いたします。そのときは、また最高のお茶を用意しておきましょう」 それじゃあ、と言って、私は無作法だが、窓を開けて飛び出そうとする。「ちょっと待ってください」 何事かと思って振り向くと、何かが飛んでくる。それをキャッチすると、それはフィルムだった。まさかと思って、カメラの蓋を開けると、ものの見事にフィルムだけ抜き取られていた。やられた。 呆気にとられていた私を見て、彼女はカラカラと笑う。 「次から盗撮は禁止ですよ」 「……以後気をつけます」 そういって、飛び出した。 彼女は窓から、身を乗り出して手を振ってくれた。「咲夜さん。あなたは最高のメイドですね」 そして、私は紅魔館を後にした。彼女は、このあとどんな表情をしたのだろうか。 |