記事にならない写真



    結論から言うと、白玉楼の大きな門の前には、誰もいなかった。
    プリズムリバー三姉妹のうちの誰かはいると思っていたのだけど、どうやら勘は外れたらしい。普段はいなくても差し支えないのに、こういうときに限って誰もいないのはどういうことなのか。

「おっと、愚痴っても仕方ないですね」

    とにかく行くあてがない私は、さながらふわふわ漂う不幽霊の如く、封印の周りを飛んでいたのだけど、誰ともすれ違うことは無い。
    当たり前か。何も起きないのだから。宴会の無い冥界にくる理由など、観光に来て、さして土産にもならないような冥界の品を拾っていくだけの動機ぐらいしか、存在しない。
    仕様が無いので、その存在に意味があるのか怪しい封印を飛び越えて、白玉楼へ向かうことにした。どうせいても、庭師かお嬢様。ついでに周りを飛び交う幽霊ぐらい。
    賑やかなことを除いて、今の白玉楼は、微妙な漫才でクスリとさせるぐらいの期待感しか持っていないのだから、初めから当てにしないことにしよう。
    それに封印を飛び越えてみて、最初に目撃したのが、ここの庭師兼護衛の半人半妖の魂魄妖夢という、いることが当たり前の人物だったことが、私の期待感を大幅に削いでいった理由だということを、ここに記載しておくことにする。

    魂魄妖夢は、白玉楼階段にて、ただひたすら刀を正眼に構えて、ピクリとも動かない。周りを飛んでいる幽霊には目もくれず、ひたすらに精神を統一しているように見える。
    狙撃兵よろしく、隠れてファインダー越しに見つめている私にも、その緊張感が伝わるほど、彼女を発するピリピリとした雰囲気は、騒がしく動き回る幽霊ですらも飲み込んでいて、不気味すぎるほど静かだった。
    その状態が何十分も続いてくると全身が重く、私の頬には汗が伝い、次第に筋肉が萎縮し始める。しかし、実はそれがまだ数分しか経っていないことに気付かされると、私も十分に彼女に飲み込まれていたということを認識させられた。
    彼女は冥界の庭の木から舞い散る葉にすら、何も反応しない。それがたとえ自分の髪に、顔に服に降りかかろうとも、些細な表情の変化もしない。
    私は流れる汗をぬぐうため一度ファインダーから視線をはずし、まだ微妙に乾ききらない服の袖で、汗をぬぐう。
    その時だった。

「はっ!!」

    彼女は掛け声と共に構えた刃を一閃。自分の真正面に落ちてきた葉を綺麗に、尚且つ均等になるように真っ二つにした。惚れ惚れとすると同時に、私はこれを写真に収めなかったことを闇の妖怪が作る闇よりも深く後悔したのは、言うに難くない。

    これは後日談なのだが、それはさながら葉の繊維を潰さずに、そのままくっつけてしまえば元の葉に戻り、また舞っていきそうなぐらいに切り口は鮮やかなものであった。実際にくっつけてみようと思ったが、すでにもう片方は風のように去って行ってしまい、もはや他の葉と見当が付かなくなってしまった。

    期待以上のものが見られた。しかし、これぐらいであるならば、特別記事にするようなものではないと私は感じている。
    彼女であればこのぐらいは容易くできそうな気がするし、それよりも非常識をそのまま具現化したような輩は、幻想郷にはうじゃうじゃと存在するのがその理由。
    それがたとえ数秒後に、爆音を轟かせて遥か彼方にある雲を霧散させたとしても、私はさして記事にする重要性と必然性がないと感じた。
    それでも、彼女の一閃。これだけは一応押さえておきたかった。この瞬間だけは私の頭の片隅で強く印象に残り、どういうわけか惹き付ける。
    幸いにして、彼女は再び瞑想状態に入った。今は納刀している。次に動き出すのは何分後か。再度彼女の世界に飲み込まれる私。
    もう流れる汗すらぬぐえない。ひたすらに、彼女をファインダー越しから見つめ続ける。刹那の瞬間を捉えるために。
    本当に狙撃手みたいだと思った。私のカメラのシャッターをきる瞬間、それがカメラでは無く、銃であるならば私は彼女を殺すことが出来たのかもしれない。
    彼女の目の前に葉が舞い落ちる。シャッターチャンスは今だ。私の手に熱がこもる。もはや一瞬の隙すら見せられない。見せたら殺られるのは私だ。それぐらいの気魄を持たなければ、撮らえられないだろう。

「はっ!!」

    妖夢は目を見開く。刀は踊る。まっすぐに刃は、葉へと吸い込まれていく。
    私はたまらずシャッターをきった。果たしてこの時を撮る事が出来たかはわからない。だけど、私は確かな手ごたえをこの手に感じていた。
    そして、彼女は刀を振り切り、余韻を残して斬撃のありかを見据えて……

「みょん!?」

    いなかった。
    そんな気の抜ける声に、雲が爆散した音だけが虚しく響き渡る。
    振り向いた彼女の視線の先にいるのは私。彼女は、初めから私の存在に気付いていたようだ。
    やはり殺られていたのは私の方らしい。
    彼女は一目散に私の方へ向かってくる。それはもう弾幕ごっこしたら間違いなく正面の弾に確実に被弾するぐらい、抑制の効かない速さ。
    浮いている雲もなんのその。お構いなしに突き進んでくる。
    妖夢は完全に殺気立っていた。刀は上段、まさに斬り殺さんといわんばかり。

「流石に斬り殺されるのは嫌ですし、少し大人しくなってもらいましょうか」

    とりあえず扇いでみた。
    無論強風ごときで止まれるものではないが、流石に何度もやってくると相手も疲れてくるらしい。何とか近づいてきていたが、最後には息も絶え絶えでこちらにやってきた。

「ま、まさか撮られるとは……お、思っても見なかった」

    妖夢は「無粋なことを」といわんばかりの表情で私を見つめる。彼女は感情がストレートだから表情に出やすい。私が思っている以上にどうやらご立腹のようだ。

「それで、庭師の仕事はどうしたのですか?」

「もちろん終わりました。終わったというのは語弊があるかもしれませんがね。何せ二百由旬の庭ですから。今やっていたのは修行の一環です」

    言い方が非常に刺々しい。そのまま茨が飛んできているようだ。もはや苦笑いするしかない。

「主人の傍を離れていてもよろしいのですか? 何かあったら大変でしょうに」

「それもそうだけど、幽々子様の傍にいると、ここぞとばかりに纏わり付いてきて集中力が途切れて修行にならない。幽々子様のアレは絶対わざとだから」

「それは、主人である西行寺幽々子に対する悪口と取ってよろしいのですかね? これは特ダネですね。見出しは『主人を疎ましく思っている従者、こそこそと特訓。遂に反旗を翻すか!?』これで決まりです」

    悪いと思いながらも、更に追い討ちをかけてみた。この後の反応は多分にして予想が出来るが、それを見るのが彼女と付き合う上での醍醐味ではないだろうか。

「えぇ!? それは違う!! そんなこと恐れ多くて出来ない。これは全て幽々子様のためにやっていることなの。確かに幽々子様は何を考えているかわからないし、本気を出せば、はるかに御強いのに、いつも意味無くふわふわしておられるし、食事は毎度どこにどう収まっているのかわからないぐらい、お食べになるし、たまに私の分も食べるし、その食事を準備するために私が朝何時に起きようが、幽々子様はぐっすりだし……あれ?」

「……見事に墓穴を掘りましたね」

    なんだか哀れになってきた。妖夢がいうことが本当だとすると、その幽々子様には、良いところが余りに少ないように聞える。

「でもたまに、おやつの団子を分けてくれるのよ!」

「いくら力説しても、もう遅いですね」

    もうその主人の良い所を聞いても、彼女の本音らしきものは聞いてしまった。何を聞いても寝耳に水。本心が違うのは自明の理だ。そのぐらい、私にでもわかる。
    ついでに今までのことはオフレコにしてある。しかし、この場の実権を握っているのは私。ここぞとばかりに楽しませてもらおう。

「うぅ……このことは記事にしないでください。御願いします。笑顔の幽々子様が、私にあんなことやこんなことを平気でやってくる姿が目に浮かんでくる。すいません幽々子様。幽々子様が有名無実なんて、私全然そんなこと思っていません。だから、私の半分を汁粉に入れるのだけはやめてください。どうみても御餅です本当にありがとうございました」

    妖夢の目は虚ろで、局地的にしかわからない言葉を、うわ言のように口走り始めてきた。

「冗談ですよ。記事にならないことは記事しない主義です。それに今のあなたを見ていると本当に哀れで」

    私の言葉が耳に届いた頃に彼女の目は生気を取り戻し、詰め寄ってくる。しかし、動きはまるでゾンビのそれだ。構えた刀は、デフォルトで。

「本当に? 本当ね。約束したから。もし破ったら、うちの庭の桜の木に繰りつけて、モズの早贄のように……」

「そこまで言わなくていいです。充分にわかりました。誰にも口外しません。風神様に誓ってもいいです」

    流石にやりかねそうなので、遂に折れることにした。だから首筋に刃を当てないで。薄皮斬れているから。

「ありがとう。これでなんとか、胃袋に持ってかれることだけは避けられた」

    逆に妖夢は輝いていて、とてもいい笑顔だった。比喩ではなく本当に眩しい。

「なんかさっきより、妄想の中のあなたの状態が悪化していますね」

    なんだか、出来上がった土左衛門のように顔が青白いのは、きっと半人半妖だからか。うん、きっとそうだ。

「じゃあ私は戻るわ。幽々子様の夕御飯の支度があるの。修行もキリがいいし、ここで立ち話していたら間に合わない」

「え〜と、まだ昼ですけど? 時間的には昼食を食べた後なのでは……」

「それは、幽々子様の一日に食べる量を知らない人が言う台詞。朝食も昼食もアレだけ食べて足りないと幽々子様はおっしゃる。
    幽々子様が言うには起きがけや昼は食欲がわかないとのこと。だから御夕食は朝昼の倍は作らなければ、だからこそ今の時間の仕込みなの。せっかくだし、今夜食べにきて、実際に目の当たりにでもする?」

「それはまた今度の機会で。残念ながら今は胃薬のストックがありません。話を聞く限りじゃあ、見ているだけで胃がもたれそうです」

「そう。アレだけ作れば何人来ても一緒だから、いつ来てもかまわないけどね。それじゃあ、さようなら」

「はい。また」

    彼女は、始めに飛んできた時と同じぐらいの速さで、主人のいる屋敷へと戻っていく。
    ふと私は、言わなければならないことを忘れていたことに、気がついた。

「あの!!」

    腹の奥から叫んだが、気付くかどうかは微妙だった。しかし、彼女の耳には届いたらしい。慣性を無視したかのように制止すると、どこか武士らしく振り向いた。
    瞳だけで「まだ何か用なの?」と訴えかけてくる。
    それに応えるように私は叫んだ。

「さっきのいい技でしたよ。素人目でもわかるぐらいに」

    妖夢は目を丸くしていた。様な気がするが、遠目では流石にわからない。それでもその後に微笑んでいたのだけはわかった。

「ありがとう」

    それだけ言うと、彼女は白玉楼階段の奥へと消えていった。




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