屋敷に着いたとき、思った以上に息が上がっていた。まず呼吸を整えると、私は震える手で、抱えていた「ふぃぎゅあ」をテーブルの上に置いた。思った以上に、呼吸は整わず、肩は上がり、動悸は激しかった。 「ふぃぎゅあ」には、なんとスタンドが付いていたので、バランスとかを気にせずに置くことが出来る。 改めて眺めると、あれだけの喧騒に包まれていながら、これには傷ひとつ、指紋すらもついていない。あの規模であの人数。半数以上が見学して、誰も触らないのは天文学的で途方もない数字だ。 「違う。誰も触わらなかったってことが前提の話じゃない」 いまさら気が付いた。いくら目の前に、理想の人形があったからといって、我を忘れていたのは失態だ。この騒ぎの原因は、この人形。 「そう。今回の騒ぎの一番の問題は、この人形はどこから来たのか。そして、何故あそこにあったの?」 もっと初めから気付くべきだった。『ふぃぎゅあ』の話を聞いたのは、香霖堂の店主から。それもあくまで、このようなものがあるっていう眉唾物の噂程度。「幻想になりえてないものは、幻想郷には滅多にやってこない」 つまり、今回の黒幕は「この人形を持ってきたもの。またはこれそのもの……」 そう呟いたとき、まばゆい閃光が部屋を埋め尽くす。眼をやられた私は、上海人形にアクセスして、人形の眼を借りる。光の発信源は、案の定この「ふぃぎゅあ」から。それを確認できるようになった頃には、光は次第に収まっていった。 魔力の糸を切り、自分の目を開けて人形をみると、幽かに点滅を繰り返していた。やがてその点滅さえなくなると、ただの普通の人形に…… 「おめでとうございま〜す! あなたは魔法少女に選ばれました」 戻らなかった。「はぁ?」 幻想郷中を一回りしていきそうな、素っ頓狂な声が部屋中に響く。私はとっさに廻り右をして、しゃがみこんだ。悪夢だ。「きっとさっきの光で脳神経系が麻痺して、聴覚が正常に機能しなくなって、幻聴か空耳が聞こえたってこと? きっとそうだよね。小人とか信じないし。ましてやしゃべる人形なんて、この世にいるはずないし」 「ねぇちょっと!!」 「いやでも待って、毒人形がいるじゃない。しかも、自立して妖怪になっているし。もしかしたら、これだって突然変異で自立したのかも。 「おい。シカとしているんじゃないですよ」 「なによ。この世の憂いを嘆いているときに。あなたのせいで私のプライドはズタズタ。いったい誰のせいなの? 独り言だけど」 大きな男の子を魅了してやまない、アルティメットスマイルを永遠に貼り付けているはずの人形は、どこか呆れたような顔をしたような気がした。「勝手に盗んできて、酷い言いようですね。ていうか私の存在を認めろ」 「盗んできたとは失礼ね。これは保護したのよ。むしろ感謝してほしいくらい」 「やっと認知しましたね」 何で人形に、昔付き合っていた彼女から、誤って的中して出来てしまった子供を、今、目の前に突き出されて、渋々認めた後のような台詞を吐かれなくてはならないのだろう。それでも、非常識甚だしいような気がするが、これが現実か。 「それであんたは何?」 「10分前に連れてきた時とは、言葉遣いが雲泥の差ですけど、気にしないことにします。私は、『桜町もも』です。あなたに魔法の力を授けにきました」 「そう……じゃあさようなら」 「スットォープゥッ」 人形の永久に開かれている口から、シャインスパークにも引けと足らない神谷明みたいな台詞回しが炸裂。ゲッターロボもびっくり。「何? せっかく断腸の想いで、お別れしようと思ったのに」 「話を最後まで聞いてください。礼儀は大切ですよ」 「いきなり『魔法を授けにしました』なんて妄言を聞き入れるほど、私は出来た存在ではないから、ほかをあたって頂戴。湖辺りに行けば、蝦蟇に喰われていそうな、程よく頭の弱い妖精がいるかもよ」 まさか現実離れした衣装を着ている、飛び切り摩訶不思議な人形に、礼儀を教えられるとは思いもしなかった。そもそも私は魔法使いだ。転化してそれほど経ってないけど、種族が魔法使いだ。生粋の魔法使いだ。魔法を授けにしました? why? なぜ? 魔法少女? Who? だれが? こっちはもう、見た目立派な魔法少女ですが何か? マイクがあるなら、床にたたきつけていそうな気分だ。 「いえいえ、誰でも良い訳ではありません。金髪で碧眼。普段は引きこもりで、ちょっとツンデレで、なかなか素直になれないけど、自分の欠点そのままに、流されるままのうのうと過ごしている、某ネットワーク対戦型クイズゲームで、一番人気を誇るあなたは、賢者……もとい、魔法少女にぴったりです。魔法少女になって人生変えてみませんか?」 「やっぱ捨てる」 そんな悪徳業者みたいな台詞を、噛まずにいえる人形なんていらない。私のキャパシティは膨れすぎて、今にもはち切れそうだ。素晴らしき私の包容力に乾杯。人形には手を上げられない、弱い私とも言う。 「すいません謝罪します。私はツンデレの使い方を誤りました。ここに謹んでお詫び申し上げます」 「謝罪するところはそっちかよ。もっとほかに謝る所いっぱいあったじゃん!! ていうか、ならないから魔法少女なんて。そもそもこっちは魔法使いの少女だし」 そもそも魔法少女になる意味は、なんだろう。意味はあっても、ろくな意味ではないはず。「あなたは魔法少女を全然わかっていないです。魔法少女は正義のために魔法を使う。そして、幼女やお兄さんのアイドルとして君臨していなければならない。あなたはお兄さんのアイドルにはなれても、幼女のアイドルにはなれるのですか? なんで私こんな突っ込みが出来るのだろうか。まさか毒電波にやられたのか。 「次に必要なのは変身です。魔法少女は、生身では魔法は使えない。稀に使えるかもしれないけど、そこには必ずアイテムが関わってくるのです。そして、特別な呪文が必要。別な自分になるために、心を、魂をこめて叫ぶのです。 固有結界「リリカル☆うぃっち〜ず」 このあとの記憶は残っていない。しかし、どうやら私は魔法少女になることに同意したらしい。そして、気がつけば知りもしない、まったくもって異世界の知識も植え付けられていた。 「それではさっそく変身してもらいましょうか」 「なにがどうなって、こうなったのかは知らないけど、そんなことやらないし」 「じゃあこれを使ってね」 「うわ!! 無視したよ」 この人形「もも」と名乗っていたそれは、自身が握っていたその杖を、どういう原理なのか放すと、私にそれを使えと言う。とりあえずその杖を拾うが、いかんせん、おそらく1/10スケールの人形が持っていた杖である。握るというより摘むだ。 「それを握って、強く、変身した自分をイメージしてください。そして、『黄昏よりも冥きもの、血の流れよりも紅きもの、時の流れに埋もれし偉大なる汝の名において……』 「それでは気を取り直して『マジカル!ラジカル!キュンキュンハートがブルブルブルータス』と唱えてください」 「ちょっと待て。『マジカル!ラジカル!』はとりあえず良いことにする。『キュンキュンハート』も保留にして、最後の『ブルブルブルータス』って何? 古代ローマの人間でも仰天させる気?」 ウィリアム・シェイクスピアでも、ブルータスをこのように使うとは考えないだろう。しかも、文学だと裏切りの象徴ではないか。縁起が悪い。「大切なのはインパクトです。かの有名なマジカル美少女たかのちゃんだって、インパクトあったじゃないですか」 「インパクトがあってもマイナーじゃないの!!」 教えられないとその存在にすら気付かない、メモオフ演劇部は引き合いに出すものじゃない。というか、どうしてこんな突込みしなければならないのだろうか。「でも、こんなもので本当に変身なんてできるのかしら?」 おもむろに額の辺りまで掲げる。やはり精巧に作られた杖ぐらいの印象しかない。「さぁ黙って変身してください。ちなみに、その杖の文様は、変身するための呪文回路になっていますので、掲げると本人の意思に関係なく、脳内に何かが侵入して、勝手に呪文詠唱します」 「それを早く言え〜!!」 叫んだところで、なにかむずがゆいような感覚が、体全体に廻ったかと思うと、指一本ですら自分の意志で動かなくなった。その代わりに、私の意思とは関係なく、脊髄反射並みに勝手に体は動いていく。 ミニ杖を天高く放り投げると、今度は口が勝手に動いた。 「マジカル!ラジカル!キュンキュンハートでブルブル☆ブルータスゥ〜」 投げた杖は、光り輝くといきなり十倍に拡大するというか、1/1スケールに戻った。私はそれをキャッチすると、頭の上でくるくると回し始めた。すると光の結晶がいくつも粉雪のように舞い、私に降り注ぐ。 するとどうだろう。服装が徐々に変わっていくのだ。ちょうど「もも」が着ているような、ピンク色で、フリルが無駄に装飾されているやつ。 手にはピチっとしているが、それでいてかわいい手袋が。足にはいつのまにか、ハイニーソックスが履かされていて、絶対領域まで無意味に完備された1/1スケールの魔法少女の完成だ。 あぁ恥ずかしい。自分の口から出たとは思えないほどの裏声で、鼻にかかった誰かに媚びる様なしゃべり方が、耳から離れない。 きっとこうやって幼女達は大人になったときに、後悔するのだろう。 いまなら『プラネットガーディアン』の小雪の気持ちがよくわかる。いくら現実主義でも、これは確かに中学生以上の少女にはきついものがある。やさぐれるわけだ。 今、今だからこそ私は切に願う。純真なままの少女時代に帰りたいと。全てが楽しく、謳歌できたあの頃が懐かしい。 魔界にいるお母さん。あなたの娘であるアリスは、俗世に染まり、汚されてしまいました。 |